「DRAG QUEEN PROJECT TOKYO」 のプレスリリースを記念し、12人のドラァグクイーンのひとり、YouTubeでの出演動画再生回数2,750,000回越えのDRAG QUEEN セレスティア・グロウンと、株式会社Toiro代表取締役 イベントプロデューサー 木島 瑞歩のロングインタビューの2ページ目です。
セレスティア・グロウンがドラァグクイーンになったきっかけとは
木島
セレスティアさんがドラァグクイーンになるきっかけは何だったんですか?
セレスティア
僕は出身が滋賀県なんですが、大阪のエクスプロージョンというクラブのゲイイベントで、すごく綺麗なドラァグクイーンに出会ったことがきっかけですね。
viviさんというドラァグクイーンで、僕の固定概念を吹き飛ばすぐらいの衝撃を受けました。
木島
クラブのゲイイベントがきっかけだったんですね。
セレスティア
はい。
高校生の時はずっとセクシャリティを隠して生きていくと思っていました。
大学生になってクラブのゲイイベントに遊びに行くようになって、息が吸えるのが楽になった気がしましたね。
学校の中でのコミュニティしか知らなかったから、自分を偽らずに居られるゲイコミュニティの居心地の良さを感じたんです。
それでよくクラブに遊びに行っていましたね。
木島
そうなんですね。
ちなみに固定概念というと?
セレスティア
女装さんはコミカルな方ばかりだと思っていました。
だからこそ凄まじい衝撃でした。
メイクで男性がこんなに美しくなれるんだ!って驚きましたね。
どちらかというと、女装というものに否定的だった僕が、自分もこんな風に美しくなれるんじゃないか、美しくなりたいって思うようになりました。
木島
運命の出会いですね。
セレスティア
まさにそうです。
ドラァグクイーンになることを勧めて下さったのもviviさんとエクスプロージョンのオーナーのマッキーさんでした。
お二人にお会いしていなかったら、今の自分はなかったかもしれません。
クラブでの出会いが僕を救って背中を押してくれた。
だからエクスプロージョンは、一生僕のベストプレイスなんです。
木島
本当に素敵な出会いですね。
それにしても今ドラァグクイーンをされているセレスティアさんが、以前は女装の方に否定的だったのはすごく意外でした。
セレスティア
当時はそうでしたね。
もともと家族が、メディアに出ている女性的な男性に対してあまり寛容ではなかったからかも知れません。
僕自身も女装をすることがライフワークになるとは思っていなかったですし、自分に当てはめて考えることも当時は出来なかったですね。
木島
そうなんですね。
家族や友人のことならリアルに相手の立場に立って考えることは努力出来るかもしれませんが、気持ちの距離が離れてる方のこととなると難しい時もありますよね。
セレスティア
本当そうです。
僕や僕の家族はセクシャルマイノリティの方と触れ合う機会がない環境だったので、メディアに流れるLGBTQ+の話をどこか違う世界の話のように感じていたんだと思います。
僕の家族も目の前の息子が当事者だと思いもしなかったから、少し否定的なことも悪気なく目の前で話してしまうことがあったのかも知れませんね。
木島
確かに。
例えば、妊娠中の方への気遣いって、その方が妊娠しているってわかってるから出来ることもあると思います。
電車やバスでお腹が豊かな方がおられて、席を譲りたいなと思っても妊婦さんじゃなかったら失礼になるから声をかけるのを躊躇してしまう時もあるし。
テレビの中の人の話をしても、テレビの中の本人がその話を聞いてるとは思いませんよね。
セレスティア
そうなんです。
僕の家族はとても優しい人達だし、僕を傷つけるとわかっていたら、きっと話さなかったと思うんです。
でも当てはまらない、傷つかないと思っているから話してしまった感じですよね。
カミングアウトのきっかけになった姉の他界
木島
ちなみにセレスティアさんは、お母様にカミングアウトをされているとうかがっていましたが、どんなきっかけがあってカミングアウトされたんですか?
セレスティア
クラブで自分の居場所が出来たことや、セクシャリティを隠さず話せる友人が出来たこともあったんですが、母へのカミングアウトのきっかけは姉の他界でした。
木島
すいません。
センシティブな話題をしてしまいました。
お姉様がおられたんですね。
セレスティア
気にしないでください。
僕のカミングアウトのことを誰かに伝えようとすると必ず触れなくてはいけない話なので。
木島
そう言っていただけると救われます。
セレスティア
今日は話そうと思って来ているので、本当に気にしないでください。
でも気遣っていただいてありがとうございます。
木島
こちらこそありがとうございます。
わかりました。
お姉様はどんな方だったんですか?
セレスティア
僕の姉は繊細なひとでした。
姉は日々の生活に心がどうしようもなく疲れてしまっていて、毎日が悲しくて、家族の言葉も届かなくなっていました。
木島
….。
日々の生活にお気持ちが疲れておられたんですね。
セレスティア
はい。
姉は色々頑張りすぎたのかもしれません。
僕ら家族はあの時、皆、出来る限りの力を尽くしたけれど、それでも姉が今世をやり直す決意や衝動を止めることは、結果として出来ませんでした。
木島
…。
セレスティア
すごく悲しい気持ちで日々を過ごしていって、
そして家族の空気感が変わっていったんです。
木島
ご家族の空気感はどのように変わっていったんですか?
セレスティア
姉を失ったことの喪失感や後悔がそうさせたのかもしれませんが、家族のふれあいがこれまでよりも増えました。
これまでなかった感謝の言葉を言うようになったり、否定するような言動がなくなったり、相手を思いやることが増えて、僕にとってこれまで以上に家族との空間が大切になっていったんです。
そして、この頃から僕は親に隠し事をしたくなくてカミングアウトがしたいと思う気持ちと、今の家族を壊したくないという気持ちに葛藤するようになりました。
木島
難しい問題ですよね。
話すことによって、居心地の良い場所が失われてしまうかもしれないと考えると簡単に決めれませんよね。
セレスティア
はい。
すごく悩みました。
しかも、カミングアウトの悩みに併せて、就職先のことも悩んでいた時期でした。
当時は就活生だったんですが、内定をいただいた会社の就労先が関西ではなく埼玉県になってしまって。
4人家族が3人家族になって、次は父と母の2人家族になってしまう、僕が家族を2人にしてしまうと考えると引け目を感じてしまったんです。
木島
色々なことが重なった時期だったんですね。
セレスティア
そうなんです。
就職のことは父も母もすごく喜んでくれて、快く送り出してもらったんですが、時期を考えると寂しかっただろうなって今でも思います。
結果、こんなに大切にしてくれている両親に隠し事をしたくない、カミングアウトをしたい気持ちが大きくなって、まずは母にカミングアウトをすることにしたんです。
Cerestia Grown(セレスティア・グロウン)
12人のドラァグクイーンのひとり、YouTubeでの出演動画再生回数2,750,000回を超える。
類稀な190cmオーバーの身長ながらも抜群のプロポーションとメイク技術で見る者を魅了し、都内のClubやBarを中心に活動。音楽フェスやレセプションパーティーにも華を添える。
またその唯一無二のスタイルを活かし、スチール作品や映像作品の被写体としても活躍。